第1回目のお客様は、醤油五大産地、金沢・大野に明治44年(1911年)に創業された「株式会社 ヤマト醤油味噌」様。4代目である山本晴一社長は現代生活に合った発酵調味料の活用を提唱し、玄米甘酒の開発、発酵食美人食堂や糀パークの運営などさまざまな取り組みをされています。ウーマンスタイルとは、2011年の発酵調味料のプロモーション「ヤマト糀部」以来、食・学び・体験を女性視点で取り入れた「発酵食大学」の活動をご一緒させていただいています。こうした取り組みでどんな成果があったのか、また今後の展望について山本社長にお伺いしました。

目の前の12人を感動させると、驚くべきクチコミが広がった!

成田:山本社長とは2011年ごろに塩糀のプロモーションとして実施した「ヤマト糀部」からおつきあいが始まりました。1年間の活動でしたが、今から思うと激動の1年でしたね。当時を振り返っていかがですか?

山本:まだ「塩糀」がブームになる前のことでしたね。知られていない「塩糀」をどうやって消費者にプロモーションしようかと思っていたところ、ウーマンスタイルさんとの出会いがありました。今だからこそ言いますが、当初は成田さんから提案されたプロモーションがどんな展開を見せるのか予測できなかった。まずは挑戦という気持ちで臨んだわけです。

成田:あの時はまず「塩糀を使うと、どんな良いことがあるのか?」と、お客様の価値を調べるところからスタートしました。塩糀を毎日使ってみたらどんなことが起こるの?  それを体験してもらうのが糀部のメンバー12人のミッション。始めは恐る恐る使い始めたんですよね。

山本:そんな恐る恐る使っていた部員の皆さんから「中学生の息子のニキビが治った」「夫が3キロのダイエットに成功した」「料理が苦手だったのに上手いとほめられるようになった!!」と次々に報告がありましたよね。そのうち、NHK「あさイチ」の取材があってテレビ出演を果たすと、借りてきた猫のように大人しかった部員たちが、「私は糀部の部員よ!」と胸を張って友達に自慢するようになった(笑)。

成田:糀部では、お客様がファンに育っていくステップをしっかり踏んで活動できました。そのステップとは、

  1. クチコミしたくなる話題性と共感ポイントを明確にした。
  2. 部員(コミュニティ)たちが次々にクチコミを始めた。
  3. お客様のベネフィットを発信するツールとしてSNSを活用した。
  4. ついついお友達を誘いたくなる仕掛け(イベント)を行った

の4つです。

山本:これらのステップをきちんと実施できたことが成功のカギでしたね。たった12名の人を感動させた結果が、こちらが思っていた以上にすごく大きかった。ここに1番衝撃を受けましたね。糀部をやる前は、パブリシティやPR・広告というものは、お金を払って顔の見えない不特定多数の人たちに広くやるものという認識しかなかった。ヤマト糀部の取り組みはこれまでと全く違っていて、わずか10数名足らずの人たちでも、本当にその人たちを感動させるとその効果は膨大であるということ。特に中小企業にとってはです。思った以上にすごいもの、影響力のある大きなクチコミが発生するということを実感できた、いい出会いだったなと思います。

成田:糀部の活動がきっかけで「発酵食美人食堂」などもオープンされましたね。

山本:そうそう。以前から、さまざまなお客様のつぶやきをもとに商品化するということをやっていたんですが、あの時も糀部を修了した人が「もうだいだい自分でできるようになった。これを使ったらこうなるなというのが想像できる。でもたまには外で食べたい、どこかないかしら」とつぶやいたんです。じゃ僕がやりますと(笑)。うちは「醤油・味噌メーカー」から「発酵食美人をつくるメーカー」になりました。

発酵王国石川を盛り上げる発酵食大学

成田:その後、ヤマト糀部の活動が「発酵食大学」に発展していくことになりました。

山本:糀部を通じて感じたのは、お客様は別に塩糀に感動しているわけではなく「塩糀を使っている私ってすごい、そんな私が好き」という思いが、クチコミの原動力になっているということ。共感を呼ぶってどういうことなの、と考えた結果がああいう取り組みだったんです。発酵食品は暮らしの中の点でしかない。それを共感につなげていくフレーズが、社会運動しての「一汁一菜に一糀」。糀の伝統をどうつなげたらいいのかなということを考えて出た標語です。「毎日の惣菜を糀で調理したらいいですよ」という運動にしていこうと決意しました。それで、2年目はどうしますかと成田さんに言われた時に「このままじゃなくてもっと広げたい」と言ったんです。

成田:2013年からスタートした発酵食大学での収穫はどういったものでしたか?

山本:それまで「醤油のまち・大野」としてステッカーなどを作って盛り上げようとしていたんですが、そこからは「発酵食のまち・大野」へ幅を広げることにしました。発酵食大学の最大の収穫は、石川県や金沢市が「発酵」にあらためて注目したこと。発酵食大学によって「発酵」という形で応援してくれるようになりました。糀部はヤマト醤油という小さい枠でしたが、県内の発酵メーカーに枠を広げてコラボできるようになったのがよかったですね。

成田:県はそれまで「発酵王国石川」とは言っていたんですが、何をやっているのかあまり良く知られていなかった。よくあるB級グルメのような盛り上げ方でなく、まずは地元の女性が「日常的に発酵食を取り入れ、糀を活用している」という土台を作りたかった。地元の女性が発酵食を学んで食べて楽しんでいないと、発酵王国とは言えない。そして地元の丁寧なものづくり企業にも消費者が目を向けて、交流する場を作りたかったんです。

山本:ヤマト醤油味噌の活動は、小さいものが大きなものになっていっただけで、方向性は一貫しています。コンセプチュアルなものは全然変わっていない。主たるお客様である主婦のみなさんがどこにどのように反応するのかなというのを敏感に感じ取りながら、試行錯誤して作り上げて今日につながっている。発酵食美人食堂も糀パークも延長線上にあるんです。

今後のビジョンは?

成田:糀部から発酵食大学と、ウーマンスタイルとの関わりの中でどんな感想をお持ちですか?

山本:やはり女性の生の声を聞けた点はとても感謝しています。マーケティングの考え方も日々成長されており、安心しておつきあいできています。依頼を着実に形にできる、能力あるスタッフが揃っておられるなと感じています。

成田:以前、バイヤーへの説得資料には「お客様がこう言ってる」というデータがすごく強みになるとおしゃってましたね。

山本:現場サイドではそうですね。ただそれは意図的に編集したものではダメです。やはり生の声、元の加工してない資料じゃないと。事実を裏打ちするものとして、数があるといいですね。

成田:発酵食品は「美容と健康にいい」という魅力がすごく広がったので、今後も息の長い商品になっていくと思います。さらにその次には何を見つめておられますか?

山本:ブームはそのうち落ち着くでしょう。その後の僕の夢は、世界中の人が「発酵食、糀といえば、金沢に行けばいい」と思ってくれるようになってほしい。外国人向けの糀ツアーなども検討しています。目標達成までにはまだ遠いですが、着々とその方向に向かって進んでいます。

Point

ヤマト醤油味噌の山本社長は、抜群のマーケティングセンスでお客様のつぶやきやニーズを取りこぼすことなくキャッチされるとても尊敬する経営者です。弊社との関わりの中では、とりわけ「女性視点」について関心を持って耳を傾けてくださり、それを男性視点で次々と形にしていかれる行動力にいつも刺激をうけ、圧倒されています。「一汁一菜に一糀」のライフスタイル提案を企業理念にされ、そこを軸に商品展開をされています。企業側からの一方的な商品開発・情報発信ではなくお客様の生の声をうまく取り入れながらヤマト流にされ、結果としてしっかりと顧客のキモチをつかむ共創マーケティングを実践されています。

お客様 企業DATA

株式会社 ヤマト醤油味噌
石川県金沢市大野町4丁目イ170
代表取締役 山本 晴一 氏
1957年生まれ。金沢市大野町出身。埼玉大学卒
1983年、家業の「株式会社ヤマト醤油味噌」に入社
2008年、代表取締役に就任
http://www.yamato-soysauce-miso.co.jp/
事業内容:醤油味噌製造・販売業
設立: 明治44年